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東京地方裁判所 昭和60年(タ)356号 判決 1986年12月24日

原告

山田太郎

右訴訟代理人弁護士

大森清治

被告

山田花子

右訴訟代理人弁護士

松浦勇

主文

一  原告と被告とを離婚する。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告と被告は昭和一八年五月二五日婚姻の届出をした夫婦であり、両名間には昭和一九年九月六日長男春彦が、昭和二三年一月五日長女秋子が生れた。現在二人の子供は共に結婚し、独立して生活している。

2  原告は医師で、昭和一六年からA大学医学部物療内科に勤務して以来、数か所の病院等に勤務し、昭和三〇年頃××市にあるB病院の副院長として勤務するに至つた。

3  昭和三二年頃、二人の子供の進学のために東京に戻り、現在被告が居住しているところで生活していたが、原告は東京から××まで通勤するという状態であつた。しかし、通勤が大変なため、原告は殆んど病院に滞在するということが多くなり、東京の自宅へ帰るのは週に一、二回という状態にならざるを得なくなつた。

4  昭和三六年頃、B病院を退職し、東京の病院に勤務するようになつたが、また直ぐに××のC病院に勤務することになり、東京から××への通勤を余儀なくされた。

昭和三八年頃、C病院と共にやはり××市にあるD病院の兼務をするようになつた。

この頃原告は持病である心臓神経症が再発したこと及び被告の原告に対する態度の冷たさ等が加わり、東京の自宅へは殆んど帰らなくなつてしまつた。

5  同時にこの頃、現在同棲している訴外甲野正子(以下甲野という)と知り合い、同人から種々身のまわりの世話等をしてもらうようになり、同居するようになつた。

昭和四二年頃、原告の肩書住所地に医院を開業し、同所で甲野と同棲し現在に至つている。

原告と甲野との間には昭和四六年九月一八日夏彦が、昭和四九年六月二〇日冬美が生れた。但し冬美は昭和五六年三月一一日死亡した。なお、原告は右二人の子供をいずれも認知した。

6  原告は、昭和三八年頃から甲野と同居し、東京の自宅には帰らなかつたが、被告及び原・被告間の二人の子供の生活費等は送金し、右二人の子供は大学教育も受け、現在二人とも結婚して独立している。

また、原告は被告が後記のとおり、原告が被告に贈与した不動産を処分した金員を元手に共同住宅を建築してからは、十分な収入があるので送金を中止した。

7  原告は、被告に対するお詫びと同人の生活が安定することの両趣旨から、原告が、昭和四一年七月四日に相続により取得した左記土地を、昭和四四年二月一〇日その二分の一の持分を、同四七年六月三〇日に更に二分の一の持分を被告に贈与した。

(一) 相模原市相武台○丁目××××番△

宅  地    三〇m2〇六

(二) 同  所   ××××番△

宅  地    六八m2九三

(三) 同  所   ××××番△

公衆用道路    三m2八三

(四) 同  所   ××××番△

宅  地    一三m2二二

(五) 同  所   ××××番△△

公衆用道路    三m2九六

(六) 同  所   ××××番△△

宅  地    五九m2三九

(七) 同  所   ××××番△△

宅  地    三五m2九三

(八) 同  所   ××××番△

宅  地    四四m2〇九

(九) 同  所    ××××番△

宅  地    四五m2一六

8  更に原告は、昭和四四年六月一〇日、前項で述べたと同趣旨で、被告と共有していた左記の建物の二分の一の持分を被告に贈与した。

(一) 東京都世田谷区桜丘○丁目××××番地△△

家屋番号  二六三六番一〇の一

木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅

床面積  一階   二六m2七一

二階   二八m2九一

9  被告は、左記不動産を所有している。

(一) 東京都世田谷区桜丘○丁目××××番△

宅  地   一八五m2四〇

(持分四分の一、他は原告、春彦、秋子が各四分の一)

(二) 同  所   ××××番△

家屋番号  二六三六番六の二

木造瓦葺二階建居宅

床面積  一階   三九m2一四

二階   三三m2三七

右建物は、昭和三一年一二月二〇日に被告名義で所有権保存登記がされているが、実質的には原告が建築したものである。

(三) 同  所   ××××番△

家屋番号  二六三六番六の三

軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建共同住宅

床面積  一階   四五m2八一

四五m2八一

右建物は昭和五八年一月二五日に建築し被告名義で所有権保存登記がされているが、この建築費は前記七項のとおり、原告が被告に贈与した土地を売却処分した代金から出捐しているものである。

10  原告と被告との間の婚姻生活は、昭和三八年頃からその実体がなく、形骸と化し破綻をきたしている。

右破綻をきたした原因につき、原告にその責任があることを否定するものではないが、原告にのみその全責任があることも考えられず、少なくとも被告にも責任があることは否定できないものと考えられる。

いずれにしても、原告は被告に対してはできる限りの誠意を尽し、被告を慰藉する趣旨から前記したように、原告の所有に属する殆んどの不動産を被告に贈与した。また、原告と被告の間の二人の子供についても親としての責務は果してきたものと信じる。

11  原告は、昭和三八年頃から甲野と同居し、現在も甲野との間の子供夏彦の三人で実質的な家庭生活をしている。特に右夏彦が重度の身障者として治療、リハビリ等の生活を余儀なくされており、原告としても年を経るに従いこの子の将来が思いやられてならない毎日である。

12  以上の諸事情を総合的に考えると、原告と被告の右形骸化した婚姻を今後とも継続させることは、原告に無理を強いる結果となり、酷なことと言わなければならず、正義に合致するものではない。

右のような趣旨から原告と被告の婚姻は民法七七〇条一項五号に該当するものである。

よつて、原告は被告に対し離婚を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の各事実は認める。

2  同2の事実中、心臓神経症が再発したこと及び被告の原告に対する態度の冷たさ等が加わつたとの点は否認し、その余の事実は認める。

3  同5の事実は認める。

4  同6の事実中、被告に十分な収入があることは否認し、その余の事実は認める。

5  同10の事実中、婚姻の破綻原因が被告にもあること、原告が被告に対しできる限りの誠意を尽し被告を慰藉する趣旨から原告所有に属する殆んどの不動産を被告に贈与したこと、原告が被告との間の二人の子供について親としての責務を果たしてきたことはいずれも否認し、その余の事実は認める。

6  同11の事実は認める。

7  同12の主張は争う。

三  被告の主張

1  原告は、結婚以来殆んど女性関係が絶えず、被告に対して一度でも詫びたことがなかつた。

2  また、原告は被告に山田家の分裂病の長男一雄の世話をさせ、昭和三八年からは約三年間原告の両親や一雄の子供二人を引取らせ、その一切の世話をさせてきた。リュウマチで寝たきりの原告の父については勿論、年老いた母ミヨ子の世話もさせていた。母ミヨ子の世話は同女が昭和五八年九〇歳で死亡するまで続いた。その他山田家の諸事雑用も被告にさせてきた。

3  これに対し、原告は原告の父が亡くなり、又母が亡くなると被告に対し労いの一言も一片の謝罪の言葉もなく、いきなり、しかも郵便で離婚届を送り付けてくるという全くもつて身勝手という外はない行動に出たのである。

4  以上のとおり、原・被告間の婚姻生活を形骸化し、破綻に導いたのは原告であつて、被告にその責任はない。

よつて、原告は有責配偶者であるから原告の本件の本件請求は棄却されるべきである。

四  被告の主張に対する認否

被告主張事実中、原告の母死亡後に原告が被告に対し離婚届の用紙を郵送したことは認め、その余については争う。

第三  証拠<省略>

理由

一<証拠>を総合すれば、請求原因1ないし9、同11の各事実の他、おおよそ次の事実が認められる。

1  原告と被告は婚姻後、世田谷区成城町の原告の両親宅に居住した。

2  昭和一九年原告の長野県△△町E病院勤務に伴い同町に居住し、九月に長男が出生、原告の母と妹が東京から疎開してきて原・被告方に同居し、被告はその世話をやいた。

3  昭和二一年原告の栃木県○○町のF病院勤務に伴い同町に居住し、同二三年一月長女が出生、同二四年原告のA大物療内科帰任により原告の両親宅に戻り、被告は嫁として山田家のために尽した。

4  昭和二七年、原告のG病院勤務に伴い×△市に居住していたが、当時原告の患者である×△営林局員妻の夫から原告がその妻と関係を持つていると怒鳴り込まれ、被告がその夫に賠償金を払つたことがあるから、被告は本件において原告のその女性との不貞を非難しているが原告はこれを強く否定するところである。

5  昭和三〇年、被告らは□□市に居住したが、被告は、原告の意向に従い、子二人と共に患者宅に同居し、その患者の世話をするという生活を余儀なくされた。この頃原告は東京に乙川愛子という愛人を作り、昭和三一年秋世田谷区桜丘に居住するようになつてから、原告は幾度か同女を自宅に連れて来たこともある。

6  昭和三一年一一月、原告は、世田谷区桜丘にある原告の母所有の土地の上に原・被告の住居を新築した。この住居の隣には原告の兄で精神分裂病を患つていた一雄が一人で住んでいたところ、被告は一雄の食事その他の世話もするようになつた(一雄は昭和四〇年病院に入院した)。

昭和三八年四月、成城に住んでいた原告の両親と一雄の長女、長男の四人が引越して来て被告方に同居した。そのため被告は家事その他に追われるようになつた。

7  昭和四一年七月、原告の父は死亡し、母は原告が××に医院を開業して住むようになつてからは、一年の半分位を原告の所に行つていたが、世田谷にいるときは被告がなにかと世話をしてやり、これは昭和五八年母ミヨ子が死亡するまで続いた。

8  原告は、昭和三六年から××のC病院に勤めるようになり、昭和三八年同病院で賄いなどの仕事をしていた甲野と関係を持ち、間もなく○△に同棲するようになつた。その頃、原告は世田谷のH病院で皮膚科を、I病院で精神科を学び、ついでに内科の診療をしていた。そのうちに原告と甲野の間に夏彦が生れ、原告は被告の所に行くことを遠慮していたが、被告から来るように言われたため、上京の際は被告宅に泊まるようになつた。なお、原告は上京に際して持病の心臓神経症のため、甲野に連れて来てもらつていた。そこで、被告宅に泊まる際も甲野を同伴し、被告方に泊めたため、被告の感情をいたく刺激した。しかし、被告も原告に対し、そのようなことを止めるよう訴えることをしなかつたため、以後、原告と甲野の間の子供の治療のために上京する際でも甲野に連れて行つてもらい、夜は被告宅に泊まつていた。被告宅では部屋がないため、一室に寝ていたが、原告の長男、長女が結婚して別居してからは別室に寝た。

9  昭和四二年、原告は××に医院を開業して甲野と同棲を続け、今日に至つている。原告と甲野との間に生れた夏彦は、生後六か月で予防注射の脳症により月十数回から二、三回てんかん発作を伴う精薄となり、現在養護学校に通学している。冬美は、血液型不適合による核黄だんのため脳性小児マヒ、先天性横隔膜へルニヤで吐血を繰り返し、四肢マヒで言葉も話せないまま、六歳で死亡した。原告は、この間の療育治療のため、心身を費やしていた。

10  この間、原告は、被告から甲野との関係を清算して欲しいとか、離婚してくれとか、同居してくれとか一切いわれたことはなかつた。原告としては既に夫婦関係が破綻し、愛情のかよいあいもなくなつていたことから離婚を考えるようになつていたが、自己の責任を感じて離婚を言い出せないまま推移した。そして、原告は、前記のとおり、被告に対して、慰藉の気持ちから自己所有の不動産を贈与し、また、子供らの養育費も含めて生活費を被告に渡していた(生活費七万円の送金は昭和五七年三月まで続いていた)。子供らの大学の授業料も原告が負担した。

11  原告と被告は互いに心が離れて二〇年余を経過したが、この間、離婚の話し合いやその回復のための話し合いもなく経過していたところ、昭和五八年一一月頃、突然原告から被告に対して郵送で離婚届が送られてきた。

12  現在、原告は、自己の有責性を十分に認識したうえ、これを反省しつつも、互いの愛情を喪失して以来、既に二〇年余を経過し、婚姻関係は形骸と化していること、自らその殆んどの不動産を被告にやつていること、被告は今後の生活に経済的な不安はないと思料されること、原告は六八歳と老齢の身であるうえ、糖尿病等の病気があり、また、今後共に自立できないで養護学校に通つている夏彦の生活や世話をやり、自らの生活のためにも努力していかなければならないこと、そのためにも身辺をすつきりしたいこと等を理由にして被告との離婚を強く求めている。

13  被告は、前記不動産の他にも川崎市柿生に約一四坪の土地を婚姻後取得していたがこれを処分して静岡県伊東市に約三〇坪の土地を長男と共同で購入し、埼玉県東松山市にも約六〇坪の土地を婚姻後取得して現に所有している。そして、現在では家賃収入が月約一六万円あつて、独りで生活している。

また、被告は、原告の本件離婚請求に対して、原告の心情に理解を示しつつも一種の割り切れなさを感じて離婚に踏切れないでいる。

以上の事実が認められ、他にこれを覆すに足る証拠はない。

二右認定事実によれば、原・被告間の婚姻関係は既に昭和三八年頃から破綻し、以後二三年余りにわたつて破綻状態が継続していて、現在ではもはやその修復は不能であるといわなければならない。そして、右破綻は、原告の訴外乙川愛子との不貞などを経過して、甲野との情交及び同女との同棲にその原因があつたことは明らかであり、原告が本件婚姻破綻の主たる責任を負つているものといわなければならない。

ところで、有責配偶者からの離婚請求については、単に婚姻関係の破綻の一事をもつて、これを認容することにはなお躊躇を感じざるをえないが、破綻状態が相当に長期にわたつていて婚姻関係が全く形骸と化し、離婚によつて子の福祉が害されるおそれも、相手方配偶者が経済的苦境に立たされる心配もなく、単に相手方配偶者の反感や意地のみで婚姻関係が継続され、その継続が当事者に何らの実益をもたらさないような場合は、また、別の角度から検討する必要があると思われる。これを本件についてみるに、原告と被告の間で互いに心が離れて既に二三年余を経過し、両者とも老境にあつてそれぞれ異なつた道を歩み、その夫婦関係は全く形骸化しているところ、被告の離婚に反対する理由は単に原告に対する反感ないしは意地ときめつけることはできず、いわば同人の倫理観にねざすものということができ、これを一概に非難することはできないが、両名間の子供らは既に結婚して独立し、被告には原告から贈与された不動産の他、なお相当な資産を有していて経済的な不安もないし、離婚により現在の生活状況に格別の変化が生ずるとも考えられない。他方、原告は、自己の非を素直に認め、被告に対してその有する不動産の殆んどを贈与するなどして一応の誠意を示し、今後、不遇な夏彦のため、また甲野の身を案じて離婚を望んでいるものであり、原告に対する非は非としてもその心情を理解できなくもないところである。

以上検討してきたところを総合すれば、破綻して長期間になる原告と被告間の婚姻関係をこの際解消し、右婚姻関係にまつわる多くのことがらを整理し、再出発させることも法の理念に合致するゆえんであると思料される。

三よつて、原告の本件離婚請求は理由があるものというべきでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官高野芳久)

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